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2010年 08月 16日
西洋公園論~オルセー美術館展とドルドーニュの森に寄せて~
ばんこんわ、にちわんこ!わしや、曽和酒太郎や。
六本木の国立新美術館で「オルセー美術館展2010」が開催されていますが、8 月16 日までなんです。つまり、本日まで。
まだ、観てない人は今日行かなくちゃ。混むと思うけど。
「ポスト印象派(Post-Impressionism)」と銘打たれたこの展覧会ですが、印象派を起点にして19世紀末から20世紀初頭の絵画が展示されています。(オルセーのコレクションは2月革命の起こった1848年から第一次世界大戦が勃発した1914年までの作品が中心)
今回は、115点も持ってきてるんだね。モネ、セザンヌ、ロートレック、ゴッホ、ゴーギャン、モロー、ルソー…
凄く豪華です。これだけの大規模な展覧会なかなかないですね。
オルセー美術館がちょうど改装中だから持って来れたってわけですな。

諏訪総裁はセザンヌが気になったらしいけれど、↓
<日経新聞インタビュー>http://www.zokei.ac.jp/news/2010/pdf/025.pdf
僕は、やはりゴッホが突出して見えました。
産業革命と写真の誕生によって、揺さぶりを受けた写実絵画に取って代わって印象派絵画が現れ、その後それに代わるポスト諸派が出て来るってなわけだけど、実は欧米では、産業革命によって、もう一つ重要なことが起こっていたわけです。
それは、「神が死んだ」っちゅうこと。
この人間の内面に起こった一大事は、もしかしたら写真の誕生云々よりも絵画にとっては一大事だったかもしんないね。
だから、そういう観点から見てみると、ポスト印象諸派の絵画は、宗教という基盤を無くした画家達が始めた模索の賜物にも見えるわけです。
エコール(派)で分けるっていうのも、まぁどうなんだって事もあるけれど、やっぱり時代的な背景を鑑みて見ると、やはりそこにはそれなりの流れは見える気がするのね。
特に、今回は大規模かつ年代順によくまとめられていて、とてもそのあたりが見え易くなっていたと思います。
模索の対象・方法が多様化していく様がね。

でも、その中にあってゴッホは非常に異質にみえた。
今回は有名な「自画像」(1887)や「星降る夜」(1888)を中心に7点の出展であったが、特に個人的に印象に残ったのが「ウジェーヌ・ボックの肖像」(1888)。この絵は割とマイナーなので今回は、この絵を観れるってのが大きいんじゃないですかね。この絵は、衝撃的でした。
これらのゴッホの作品の何が異質であったのかというと、宗教から開放され新たな模索を始めた同時代の画家達の作品のなかで、彼の絵だけはひたすら神を描こうとしているように感じたからである。
牧師の家に生まれたにも関わらず、牧師免許を剥奪された、このオランダ男がフランスで描き続けたこれらの絵画は明らかに宗教画であるように思う。
「詩人の顔」にも、「ひまわり」にも、「ロマのキャンプ」にも…彼の筆は神を探し続けているんじゃないかと思えるんだよね。
その制作態度は反時代的だったけど、それだけに今回の展覧会の中でも突出して見えたね。
そして、なぜそうなってしまったのかは分からんし、やはりそれは一個の狂気ではあるんだろうけれども、彼の中のGODは一種の多神教的な様相を呈していたのかもしれないね。(これは、もしかするとニジンスキーのケースにも共通する現象であるかもしれない)
この点において詳しい論述はしないけどね。
一神教を通して多神的世界に突入していっちゃう…っていうね。
そこに、浮世絵の構図の影響があるのかどうかとかは知らないけど。

で、全体を通して、もう一つ気になったことがあってですね。
これも、西洋絵画に詳しい御仁に言わせると、何をいまさらということなのかもしれないけれど、僕は今回初めて気付いたんです。
それは、「みんな、やたら公園ばっか描いとんなぁー」ということです。
モネ、スーラ、ベルナール、ヴァイヤール、ボナール…みんな公園を描いてんですよね。
中にはタヒチに行っちゃったゴーギャンみたいなのもいるけどね。
これって、どういうことなんだろう?
だいたい、まぁフランスの公園よね。
この時代の西欧の画家はパリに集まってきて来てたからね。

今、絵を描くときに、公園行こうってなる?
なんか、微妙な感じするよね。
えっ、この絵公園で描いたんだ、ふーん、でもなんか安っぽくない?みたいな。
カイガを描こうと思ったら、もっと意気込むでしょ。
若かりしピカソなんか、女性刑務所なんかに通ったりしちゃってね。

でも、もしかしたらこの時代における西欧の公園って、今の日本における公園と違うものだったのかもしれない。

そこで、思い当たるのが西洋と日本の森林率の違いである。
イタリア : 33.9%
イギリス : 11.8%
フランス : 28.3%
に対して、日本の森林率は何パーセントだと思う?

なんと、日本 : 68.2% よ!
ちなみに、中国 : 21.2%  インド : 22.8%  アメリカ合衆国 : 33.1%  です。

単純に試算して、日本はフランスの2倍以上の森林率なのである。
主要先進国で、日本に比することが出来るのは、北欧のスウェーデン : 66.9%  フィンランド : 73.9% とかですかね。(日本の森とフィンランドの森
しかし、山岳率の違いがあります。北欧が平地に広がる森林が多いのに比べて、日本の山岳率は森林率とほぼ同じ70%に及ぶので、日本の国土の約70%は山林なんですね。

Google Earthなんかで上空写真を見ると分かるけれども、フランスなんて森林めっちゃ少ないからね。
田舎つっても畑が延々広がってるだけでね。さすが農業大国って感じだけど、森は少ない。
特に、原生林なんてのはさらに少ないでしょうね。全部、人間が拓いちゃって。
人間中心主義の文明を推し進めて行った結果、そうなっちゃったんだな。
人間中心主義というのは、GOD主義でしょ。人間はGODが創ったんだから。

それに比べて、日本は山だらけの、森だらけよ。
しかも、原生林があり自然植生・原植生を残してる森林が残ってる。
これは、鎮守の森があったからだね。
鎮守の森ってのは、神社の森林ね。
日本はGODの国じゃないから、元々の神道ってのはアニミズムだから多神教。
だから、森林が残ってるのね。

実は日本の森林も、明治39年(1906年)に「神社合祀令」が発布されて、危機にさらされた事があるんだけどね。
「神社合祀令」ってのは、複数の神社の祭神を一つの神社に合祀させるか、もしくは一つの神社の境内社にまとめて、その他の神社を潰すことによって、神社の数を減らすっていう政策。
つまり、これは神社付きの鎮守の森が伐採されるということです。
これは、明治政府が国家神道をしてGODを戴く一神教として浸透させ、大日本帝国を一つの統一した思想の国家にしていこうという政策の一つなんだけど、まぁ奇しくもそれは、一神教人間主義国家の欧米並みに森林を伐採しちゃおうということでもあったわけです。

それに反対した南方熊楠が「欧米では大金を出して公園を作っている。神社という自然の公園を売却するごとき馬鹿者は世界になし」と言うんだけどね。

はい、ここで南方熊楠の生きた時代ですが、彼は慶応(1867年)に生まれて、昭和16年(1941年)に亡くなっています。そして、イギリスに渡ったのが明治25年(1892年)です。
セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン達、オルセー美術館展の画家達と全くの同時代人ですね。
つまり、この頃欧米では、公園が作られていたわけです。
西欧ににおける公園(Public park)というのは、良好な環境を享受する権利や散歩などの運動を行う権利が市民のもつ当然の権利(市民権)として主張され、森林法と森番(Gamekeeper)が市民を遠ざけていた王の私的な狩猟園地(Park)を公衆の利用に開放したもの。
つまり、オルセー美術館はフランス2月革命(1848年)以降の作品をコレクトしているわけで、公園というものが市民に開放された時代の作品群だったというわけね。
フランスは革命によって王様も貴族も殺してきた国だからね。それはつまり革命によって公園が出現するってことだもんね。
以下は、熊楠が書いた「神社合祀令反対の意見書」から抜粋。

<わが国の神社、建築宏大ならず、また久しきに耐えざる代りに、社ごとに多くの神林を存し、その中に希代の大老樹また奇観の異植物多し。これ今の欧米に希に見るところで、わが神社の短処を補うて余りあり。外人が、常にギリシア・ローマの古書にのみ載せられて今の欧米に見る能わざる風景雅致を、日本で始めて目撃し得、と歎賞措かざるところたり。

 欧州にも古えは神林を尊び存せしに、キリスト教起こりて在来の諸教徒が林中に旧教儀を行なうを忌み、自教を張らんがために一切神林を伐り尽せしなり。何たる前見の明ありて、伐木せしにあらず、我利のために施せし暴挙たり。それすら旧套を襲いて在来の異神の神林をそのまま耶蘇教寺の寺林とし、もってその風景と威容を副えおる所多し。市中の寺院に神林なく一見荒寥たるは、地価きわめて高く、今となって何とも致し方なきによる。これをよきことと思いおるにはあらじ>

と、まぁ、南方熊楠の戦いによって大正7年(1918年)に神社合祀は止まるわけです。(熊楠亡き後、やはり日本は、国家神道化の強制→太平洋戦争という道をたどっちゃうんだけども)
それによって、日本の森はなんとか残ってるわけですが、西欧は原生林も無いし、そこには神もいないわけです。
そして、そこには公園だけがあるわけです。
当然、日本の公園とは意味も必要度も違います。
画家達はそんな公園を描いたのです。
王も神もいない公園を。
それが西洋近代絵画の幕開けだったんです。

ちょっと、そこから先は、日本人の僕には想像しきれないところかもしれないですね。(現時点では思考の踵を返すべきところ)

ところで、諏訪総裁は今フランスに行っており、昨日までドルドーニュの森で行われる『「日本人と自然」について考える映画祭のようなシンポジウム』に参加していたそうです。
上映作品は「もののけ姫」「トトロ」「殯の森」「ヒロシマ・モナムール」と「ユキとニナ」とのこと。
                                    (写真はsuwanobuツイッターより)

うーむ、フランス人が日本の森について考えておるとな。
ジブリの森は、「ユキとニナ」は、フランスの明るい公園森林を、神奈備(かんなび)の森へ誘い込んだのか?
神も王も捨てたフランス人は何かを求めているのか?
現代の日本人は、熊楠が残した森を感じているだろうか?
ゴッホは今でも神代(かみしろ)の国に憧れるだろうか?




※メンバーの新作情報は《ニュース》にUPされています。

by yachaoo | 2010-08-16 09:40 | ソワ☆聖☆タロウ | Trackback | Comments(3)
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Commented by yachaoo at 2010-08-16 09:59
歴史も由緒も勝景も問わず、いわんや植物のことなどは問うはずなく、おのおの得たり賢しと神狩りを始む。

南方熊楠
Commented by yachaoo at 2010-08-16 10:00
千百年来斧斤を入れざりし神林は、諸草木相互の関係はなはだ密接錯雑致し、近ごろはエコロギーと申し、この相互の関係を研究する特殊専門の学問さえ出で来たりおることに御座候。

川村竹治あて書簡
南方熊楠
Commented by yachaoo at 2010-08-16 10:03
小生思うに、わが国特有の天然風景はわが国の曼陀羅ならん。

南方熊楠
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